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沿革

明治36年3月福岡県北九州市門司区に、芦野虎吉個人鉄工所創立。
昭和19年12月株式会社芦野組鉄工所に改組。
昭和20年4月株式会社芦野組鉄工所より分離し、資本金195,000円で日本機械設備工業株式会社を設立、本社を東京都墨田区に置き、出口彌之助取締役社長に就任する。
昭和23年2月株式会社東京芦野組に商号変更。
昭和23年5月資本金を100万円に増資する。
昭和27年5月大阪市西成区に大阪工場を建設、営業所を併設する。主に、日本セメント大阪工場の設備工事及び西日本地区の工事を施工する。
昭和29年10月黒崎作業所を設置し、三菱鉱業セメント黒崎工場の建設工事及び補修工事を継続して施工するとともに、後の苅田工場の設置まで、周辺セメント工場関係の拠点となる。
昭和30年3月埼玉県入間郡日高町に埼玉工場並びに機材センターを建設し、日本セメント埼玉工場、西多摩工場、秩父セメント第一工場、第二工場、熊谷工場等の機械工事を施工する。
昭和31年2月東京都江東区に砂町工場を建設し、大型機器の製作主力工場とする。
昭和31年5月資本金を400万円に増資する。
昭和31年6月資本金を1600万円に増資する。
昭和31年9月資本金を3000万円に増資する。
昭和32年3月北海道上磯郡上磯町に上磯出張所を設置し、日本セメント上磯工場の建設機械工事並びに東北・北海道地区の工事を施工する。
昭和33年3月日本機設株式会社に商号変更。
昭和39年4月資本金を4000万円に増資する。
昭和44年4月資本金を5000万円に増資する。
昭和45年10月福岡県京都郡苅田町に苅田工場を建設し、三菱鉱業セメント苅田工場の合理化機械工事及び九州・中国地区の工事を施工する拠点とする。
昭和48年1月川崎重工業のサブコントラクターとして、アルジェリア国建設資材公団メフタ工場の原料ミル1基、仕上ミル2基の据付工事を施工、海外工事に関して本格的に進出する。
昭和48年12月東京都江東区の砂町工場敷地内に本社社屋を建設し、墨田区両国より移転する。
昭和57年3月出口久雄取締役社長に就任。
昭和58年5月出口久雄が取締役会長、山上康孝取締役社長に就任。
昭和61年4月長岡 大 取締役社長に就任。
昭和63年3月工事部門を扱う100%出資子会社「日機工事株式会社」を設立。
平成元年3月埼玉県越谷市に賃貸商業ビル「エヌビル越谷」を建設、不動産賃貸を開始する。10月には、埼玉工場事務所・寮「エヌビル日高」が竣工。
平成2年3月千葉市稲毛に賃貸マンション「エヌビル稲毛」竣工。
平成5年12月新苅田工場竣工。
平成6年3月新本社ビル「エヌビル東陽町」竣工。
平成16年1月高知出張所、大分出張所を設置。
平成19年3月新潟出張所を設置。
平成22年6月太平洋セメント(株)大分工場閉鎖に伴い、大分出張所閉鎖
平成23年2月太平洋セメント(株)土佐工場閉鎖に伴い、土佐出張所閉鎖
平成27年3月 長岡 弥一郎 代表取締役社長に就任。
長岡 大 代表取締役会長に就任。

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